【見えない光、赤外線を視る】世界のことわりの不思議

なぜ宇宙の観測に黄金の鏡が必要なのか?赤方偏移とジェームズ・ウェッブ望遠鏡|赤外線③

2026.06.17 公開

【見えない光、赤外線を視る】
第1回:目に見えない赤外線を視る生き物。0.003度の温度変化を捉えるヘビのピット器官
第2回:光から電気を作り出す光電効果。見えない世界を視るセンサー
第3回なぜ宇宙の観測に黄金の鏡が必要なのか?赤方偏移とジェームズ・ウェッブ望遠鏡(本記事)

第1回、第2回では、ヘビの熱探知やリモコンの仕組みといった、地上で活躍する赤外線の姿を見てきました。シリーズの完結編となる今回は、視線を宇宙へと向けてみましょう。人類は、莫大な予算を投じて赤外線専用の巨大な望遠鏡を宇宙に打ち上げています。そこには、赤外線という見えない光でなければ絶対に捉えることができない、世界の始まりの物語が眠っています。

宇宙が広がるほど、光は伸びるという宿命

宇宙の謎を解くために赤外線が必要な最大の理由は、宇宙そのものが猛烈なスピードで膨張し続けているという事実にあります。

遠くの銀河から放たれた光は、何十億年、何百億年という途方もない時間をかけて地球へと旅をします。その旅の間に、光が進む空間そのものが引き延ばされてしまうのです。すると、そこを走る光の波も、空間と一緒にゴムのように引き延ばされてしまいます。

もともとはエネルギーが強く、波長の短い青い光や可視光線として放たれた星の輝きも、地球に届く頃には波長が引き延ばされ、私たちの目には見えない長い波長の赤外線へと姿を変えています。これを赤方偏移と呼びます。宇宙のより遠く、つまりより過去を視ようとすればするほど、私たちは目に見える光を捨て、赤外線を頼りにするしかないのです。

なぜ黄金の鏡が必要なのか

この引き延ばされた微かな光を捕まえるために、2021年12月25日のクリスマスに打ち上げられたのがジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)です。この望遠鏡の主鏡は、18枚の六角形のパネルを組み合わせた巨大な黄金の鏡です。

ここでなぜ銀ではなく、黄金なのかという疑問が湧きます。鏡によく使われる銀やアルミは、可視光線を反射するには適していますが、赤外線に対しては、金が圧倒的に高い反射性能(98%以上)を持っているからです。

金には、赤外線の長い波長を効率よく跳ね返すための自由電子の状態が備わっています。望遠鏡の仕組みは、巨大な鏡で光を集め、一点に集中させてセンサーで読み取るというものです。宇宙の果てから届く、消え入りそうなほど微かな赤外線の粒子(光子)を一粒残らず集めるために、人類は物理的な反射効率を極限まで高めた黄金の鏡を用意したのです。

自身の熱を消す、極低温の挑戦

しかし、黄金の鏡で光を集めるだけでは不十分です。ここには、赤外線観測ならではの最大の敵が潜んでいます。それは、望遠鏡自身が放つ熱です。

第2回で解説した通り、温度を持つすべての物体は自ら赤外線を放ちます。もし望遠鏡が温かいままだと、自分自身の体温が放つ赤外線がノイズとなり、宇宙からの微かな信号をかき消してしまいます。これは、明るいライトを点灯させながら、遠くの蛍の光を探すようなものです。

そのため、ジェームズ・ウェッブ望遠鏡は巨大な日除けで太陽の熱を遮断し、常にマイナス230度以下という極低温に保たれています。自らの冷たさを極限まで突き詰めることで初めて、130億光年の彼方から届く、か細い熱のつぶやきを聞き取ることが可能になるのです。

塵の雲を通り抜けるメカニズム

赤外線にはもう一つ、宇宙観測において決定的な利点があります。それは遮るものを通り抜けるという性質です。

宇宙には星と星の間に、巨大な星間塵と呼ばれる雲が漂っています。これは、かつて寿命を迎えた星が爆発した際に撒き散らした炭素やケイ素などの微細な粒です。可視光線のような波長の短い光は、これらの小さな粒にぶつかると、四方八方に散乱してしまい、その先に進むことができません。これは、霧の中でヘッドライトが遮られるのと同じ現象です。

しかし、波長の長い赤外線は、こうした微細な粒よりも波のサイズが大きいため、粒の影響をあまり受けずにまたいで通り抜けることができます。この透過力のおかげで、人類は初めて、これまでの望遠鏡では真っ暗闇に見えていた塵の雲の内部で、誕生したばかりの最初の星々が輝く様子を視ることができるようになったのです。

瓦礫の下から届く36度のシグナル

この遮るものを通り抜けて、熱の源を探すという性質は、災害現場での救助活動にも応用されています。

地震などで建物が崩壊し、生存者が深い瓦礫の下に取り残されたとき、肉眼で見えるのはただの冷たい石やコンクリートの山だけです。どれほど目を凝らしても、その下にいるはずの生存者の姿を視認することは不可能です。しかし、赤外線センサー(サーモグラフィ)は、瓦礫の隙間をすり抜けてくる、人間特有の36度前後の熱放射を捉えます。

瓦礫は周囲と同じ温度ですが、生きている人間はエネルギーを消費して熱を放出し続けています。赤外線は瓦礫などの障害物の隙間を通って漏れ出しやすいため、救急隊はそれを見分けることで、一刻を争う暗闇の中で、救うべき命の場所を正確に特定できるのです。

私たちは見えないものに守られている

シリーズを通して赤外線の物語を辿ってくると、一つの真実が見えてきます。赤外線は常に、私たちが「もう何も見えない」と諦めかけたり、限界を感じたりした場所で、そっと新しい視界を切り拓いてくれているということです。

  • ヘビを導くピット器官: 視覚が役に立たない闇夜で、生存の道を照らす。
  • リモコンのパルス信号: 空中を飛び交い、私たちの意図を機器へと届ける。
  • 救急隊のサーモグラフィ: 絶望的な瓦礫の中から、命の在り処を教える。
  • 黄金の宇宙望遠鏡: 130億年の時間を遡り、人類に世界の始まりを教える。

私たちは、自分の目に見えるもの、自分に理解できる範囲だけが世界の全てだという思いにとらわれることがあるかもしれません。しかし、私たちが気づいていないだけで、世界は目に見えない多くの光によって守られ、支えられています。可視光線という限られた窓の外側には、私たちが知るべき大切な情報が、常に熱を帯びて溢れているのです。

見えないエネルギーを読み解く知性

赤外線という光は、時間によって引き延ばされた過去の宇宙の姿を現代に運び、瓦礫に遮られた微かな生命の信号を今に伝えます。この光が持つ力は、私たちに情報の受け取り方についての示唆を与えてくれます。

私たちの日常生活においても、時間の経過によって鮮度が落ちたように見える情報や、ノイズに邪魔されて見えにくくなっている本質があるはずです。表面的な劣化や障害に惑わされず、その裏側で今も脈打っている根源的なエネルギーを探す姿勢。それこそが、赤外線という視点が教えてくれる知恵です。

時間が経っても、あるいは何かに隠されていても、本質が放つ熱量は消えません。それを見抜くための適切な知識というフィルターを持つことで、困難な状況の先にある真実を見抜くことができるはずです。世界は、目に見えない熱情で満ちています。その揺らぎを感じ取るための知性のセンサーを、これからも大切に磨き続けていきましょう。

【見えない光、赤外線を視る】
第1回:目に見えない赤外線を視る生き物。0.003度の温度変化を捉えるヘビのピット器官
第2回:光から電気を作り出す光電効果。見えない世界を視るセンサー
第3回なぜ宇宙の観測に黄金の鏡が必要なのか?赤方偏移とジェームズ・ウェッブ望遠鏡(本記事)

【厳選:本棚の資産になる書籍】

  1. 『宇宙はなぜ面白いのか』(北川 智子 著)🔗[Kindle版] / [紙の本]
    • 元JAXAの宇宙教育センター長が、宇宙の基本から最新の探査までを中高生にもわかる言葉で綴った新書です。ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡をはじめとする、現代の宇宙開発の今一番ホットな最前線のワクワク感が伝わってきます。
  2. 『宇宙望遠鏡と驚異の大宇宙』(鈴木 喜生 著/縣 秀彦 監修)🔗[Kindle版] / [紙の本]
    • 赤外線で捉えた130億年前の星々の姿など、ハッブルやジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が撮影した最新の超高画質画像を贅沢に収録したビジュアル解説書です。記事で読んだ黄金の鏡が捉えた宇宙の夜明けの美しさを、自分の目で確かめることができます。
  3. 『眠れなくなるほど面白い 図解 宇宙の話』(渡部 潤一 著)🔗[Kindle版] / [紙の本]
    • ブラックホールや宇宙の始まりといった難解なテーマを、1ページずつの見開き図解でサクサク読めるようにした大人気シリーズです。時間を巻き戻して宇宙の過去を見る、という赤外線天文学のロマンが、驚くほど簡単に頭に入ってきます。
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